20031015

UNION News Letter

鹿児島国際大学教職員組合

執行委員会 Vol.3-3

 

公開シンポ「学問の自由と研究者の人権」に参加して

 言葉として意思をあらわす知識人のネットワークの構築を!!

 「学問の自由と研究者の人権------国際的潮流と日本の課題、そして知識人の役割」と題する公開シンポジウム(主催;「鹿児島国際大学三教授を支援する全国連絡会」、協賛団体;京滋地区教職員組合連合、社会文化学会、日本科学者会議京都支部、「川島茂裕さんを支援し、大学教員の教育研究と身分保障を考える会」)が9月21日(日)PM100500キャンパスプラザ京都にて行われました。その内容は、この三教授の懲戒解雇事件を単に一地方私立大学で偶然起こった不幸な驚くべき出来事としてのみとらえるのではなく、まさに、国立大学の独法化にみられる、国際的な高等教育改革の流れ(ユネスコの提言)に真っ向から逆行する日本の高等教育改革の流れの中で起こるべくして起こった典型的な事件としてとらえ、このような状況のなかで知識人・大学人の果たす役割はいかにあるべきかを問いかけたシンポジウムでした。

 重本直利氏(龍谷大学教授、鹿児島国際大学三教授を支援する全国連絡会事務局長)の司会で、まず篠原三郎氏(全国連絡会呼びかけ人代表)の挨拶があり、(大学をとりまく状況は深刻で、暗い状況にあるが、希望はあり、それを実現するためには「連帯」が必要である)、今回のテーマに沿った四氏の報告が続きました。その後、フロアーからの質疑応答という形でシンポジウムは進行しましたが、ここでは、三教授を支援する闘争とのかかわりで、重要だと思われるポイントについて紹介したいと思います。当日の四氏の報告テーマは以下のようです。

 

田中昌人氏(京都大学名誉教授、人間発達研究所所長)

「高等教育の国際的潮流と日本の大学改革」

紀 葉子(東洋大学助教授)

「学問の自律性の危機と知識人の役割」

池内 了氏(名古屋大学教授、大学改革を考えるアピールの会呼びかけ代表)

「国立大学独立行政法人化問題と大学の自治と学問の自由」

浜林正夫氏(一橋大学名誉教授、JSA科学者の権利問題委員会委員)

「日本における研究者の人権状況と今後の課題」

 この中で、田中氏は、現在の日本の大学を取り巻く状況だけをみていると「改革」の名のもとに大学の研究者の人権、教育・研究権だけでなく学生の諸権利が侵害されていく状況があたかも時代の普遍的流れのように見えるかもしれないけれど、ユネスコの提言に代表される21世紀を展望した高等教育の国際的潮流から見れば、むしろこれに逆行する流れとなっており、この見地からもう一度、日本の大学改革をみなす必要があるのではないかという報告でした。

 また、池内 了氏は、現在の国立大学独立行政法人化へと至る過程を分析され、その源流をたどれば、科学技術基本計画(ITとバイオとナノテクと環境の4つの重点分野に集中投資をする。そのために相対的な独立性を保っている国立大学に風穴をあけなければならない)まで遡ることができ、それが、橋本行革(行政の減量化・効率化)、国家公務員削減問題(自自公合意25%削減)、独立行政法人という制度(企画部門を国の機関として残し、実行部門を独立行政法人として、垂直にわけ減量する)、小泉「聖域なき構造改革」と遠山プラン(「大学を起点とする日本経済活性化のための構造改革プラン」=国立大学の独立行政法人化の強行)へと展開してきたと総括される。そして、この独立行政法人化によって、国は財政責任を回避することができるようになると同時に、大学教員は教育公務員特例法の適用から除外され(学問の自由を奪われ)、中期目標・中期計画(入り口)と評価委員会(出口:文部科学省〈経営〉と総務省の評価)で抑えられる。大学の機構がトップダウンの管理運営組織となることによって、文部科学省の大臣の権限ガ強まり(中期目標を定め、評価委員会で「経営効率」の悪い学長を解任することができる)、大学内では、学長およびそれに付随する役員会の権限が強まる。名古屋大学の例をあげながら、このままいけばトヨタ系列ができあがるのではないかとの危惧を表明されていました。まさに、本学で展開されている事態は、ある意味で、独立行政法人化後の国立大学を先取りしたものであるといえるでしょう。

さらに、浜林正夫氏の報告は、私たちの大学をも含めていま問題になっている研究者にたいする人権侵害は、氷山の一角にすぎないのであって、見えないところでもすごい人権侵害が起こっており、国公立大学、私立大学、研究書や民間企業、非常勤講師のそれぞれの場合について分析しながら、全体としての概括をするというものでした。そのなかで、印象的だったことは、国公立大学の場合、これまで「不当解雇の事例は殆どない」ということです。それは、池内氏の報告にもあったように「教育公務員特例法」の適用があったからですが、これが独立行政法人化によって適用除外になると、現在、私立大学でおこなわれているような不当解雇が国立大学でも行われる可能性がでてくるということです。

それでは、このような状況に対して私たちはどうすればいいのでしょうか。また、何をしなければならないのでしょうか。これにたいして、それぞれの報告者が提案をしています。そのなかでも、わたしたち大学人・知識人の役割に焦点をあてて、問題提起をされたのが、紀 葉子氏の報告でした。

氏は、フランスの社会学者ブルデュー、特にその晩年1995年以降の活躍に注目しながら(ブルデューによれば、ネオリベラリズムとは「文化の領域を経済的な領域が侵蝕していくこと」にほかならず、このネオリベラリズムの野蛮にたいして、いかに戦っていくのかということを自ら示した)、日本における独立行政法人化や大学における人権侵害をネオリベラリズムの野蛮ととらえ、なぜ、このようなネオリベラリズムが学問の領域に浸透したのか、学問の領域への経済領域の侵蝕から学問の自立性を守っていくにはどうすればよいのかと問いかけています。

氏は、象牙の塔というのは、そのなかに篭りがちな研究者が、自分たちで独自の、自分たちでしか通用しない価値観の中に閉じこもってしまっているという意味では否定的だが、経済的な価値とか、政治的な価値をよせつけず、学問の自立性を守っていくという意味では、学問研究という場(シャン)にいる私たちがまもらなければならない肯定的なものを含んでいるという。それにもかかわらず、ネオリアリズムの野蛮によって、この学問の自立性が経済領域によって侵蝕されてきた。たとえば、ある絵の価値がその芸術性によって判断されるのではなく、いくらで売れたかという経済価値で測られる。社会学の研究では、なぜその実証研究をするのかということではなく、3年間で博士論文を書くために理論研究ではなく、実証研究をするという風に本末転倒してしまう。この「ネオリアリズムの野蛮」の流れの中に独立行政法人化(何らかの形で国家公務員もリストラしなければならない)も位置づけることができる。しかし、この野蛮・独立行政法人化というものがもつ大きな問題点にたいして、私たち大学人がこれはおかしいのではないかと声をあげても、それが個々の言挙げにとどまり、それらがつながり大きな声になっていかなかったために、粛々とことが進められるということになってしまった。ノーマ・フィールドは、知識人が言葉を失い、人々に語りかけることをやめてしまったとき、同時多発テロのような悲劇がおこるという。

私たちの大学をもふくむ全国の私立大学でおこっている悲劇(氏の勤務する東洋大学では、本人が辞めたくないといっているのに家族が辞職願にサインをして退職に追い込んでいる)をおわらせ、国立行政法人化によってこの悲劇が国立大学に広がっていくことがないようにするためにも、大学人・知識人が個々に声をあげるだけでなく、それをつなげネットワークにしていく必要があるのではないか。たとえ、どんな時代になっても遅すぎるということはない。むしろ、遅すぎるとしたら、もう遅すぎるからといって知識人がその歩みをやめてしまったときである。その時、本当の敗北となる。こうして、紀氏は、ブルデューの晩年の活動に励まされ、言葉として意思をあらわす知識人のネットワークを提唱する。私達は、これを今後の闘いの合言葉にしたい。